1月 15

安倍晴明が陰陽師としてのスタートを切ったのは西暦960年頃であろうといわれています。
その時代に安倍晴明、そして同時期に活躍した陰陽師たちは貴族らの個人的依頼を受けて、種々の相談、祈祷、霊的防御、などの仕事に携わっていました。それらの業績は個人的相談であるため、一切の記録は残っておらず、実際のところ彼らがどのようなことをしていたのかは不明です。

ですが、彼ら陰陽師の事績を民間伝承や後のやや誇張された形で伝える伝説を幾つかご紹介していきましょう。

・安倍晴明は草の葉を取って、何やら呪文を唱えて蛙の方へ投げると蛙がつぶれて飛び散った。
・安倍晴明は蔵人少将にかけられた呪詛を見破り、護身の法を施した。するとその呪詛を放った陰陽師が逆に死んでしまった。
・安倍晴明の家の戸は、「式神」が誰もいない時にも勝手に出入りしていた。
・播磨の陰陽師智徳が安倍晴明と力比べをしようとしてやってきた。安倍晴明は彼が連れている「式神」を自分の術で隠し、それを知った陰陽師智徳は降参した。
・安倍晴明がまだ幼い頃、道の向こうから鬼がたくさんやってくるのが見えた。晴明は寝ていた師匠を起こしてそれを知らせ、難を逃れた。

陰陽師安倍晴明という人物は、伝説の部分が大きく膨らんだ割に正規の記録に残る事績のほとんどない人で、その実態は謎に包まれています。

P.S. 国語の勉強法を学ぶには、家庭教師の先生と二人三脚で勉強していくのが最適だと思います。独学で国語の勉強をするよりも勉強のプロにアドバイスをもらったほうが安心確実ですよ!

9月 12
ゆかりの地
icon1 アン | icon2 安倍晴明 | icon4 09 12th, 2008| icon3Comments Off

陰陽師といえば、すっかりイメージは占いや呪術を使う怪しげな人物と思われたりしてます、
ですがもともとは古代中国の陰陽五行説を基礎にして発展した陰陽道の研究者なんです。
律令制の中務省に属する「陰陽寮」って所で天文や気象、暦、占いなどを行っていた方なのですが、
第一人者である安部晴明は藤原道長ら上級貴族のために占い、陰陽道の様々な行事を取り仕切っていたとされております。

福井敦賀の晴明神社には市民でさえ因縁を知らない人が多かった神社であったために、
最近は県外からの参拝客が増えてきたそうです。
福井県嶺南地方には晴明神社もありますし、土御門暦を発行している場所であったり、いくつものゆかりの場所があります。

今度ふらっと福井に行ったときには、メニエル病の治療祈願にいってこようかな~


6月 25
安部晴明のPPC
icon1 アン | icon2 安倍晴明 | icon4 06 25th, 2008| icon3Comments Off

Yahoo!やgoogleで安部晴明を検索すると、沢山の検索結果が表示されます。
しかし、Yahoo!とgoogleでは表示される広告が違うことにお気づきですか?
検索結果を表示したときに自動的にその検索キーワードと連動した広告を表示することを、
検索連動型広告といいます。
この検索連動型広告はYahoo!とgoogleで別物を経由しているからなんですよ。
ちなみに、googleでは検索連動型広告は無、Yahoo!では、古本当でした。

2月 10
安倍晴明の神秘的なエピソード
icon1 アン | icon2 安倍晴明 | icon4 02 10th, 2008| icon3Comments Off

安倍晴明の生涯は神秘的なエピソードで彩られ、平安時代の貴族の日記や仏教説話集にも、鬼神を見て師匠を救った、天変を察して花山天皇の退位を知った、よく式神(鬼神)を使い、老僧と術比べをして勝った、草の葉を投げて蛙を殺した、白犬と共に道長に掛けられた呪いを見破った、蔵人の少将に掛けられた呪いを見破り、呪詛返しをし、呪いをかけた陰陽師を殺したなどの話が載っています。

これらの説話を見ると人を救いもするが、「晴明」という綺麗な名前に似合わず、殺生もする、「一癖ありげな陰陽師」のイメージが浮かんできます。

江戸時代に入るとますます人気が沸騰し、物語や浄瑠璃の題材にもなりました。
狐の母と悲しい別れをした、ライバル・芦屋道満に殺された父を一条戻橋で生き返らせた、唐に留学中に道満に妻を寝取られた、蛇を助けて龍宮城へ行ったなどなど、ミステリアスなエピソードがたくさん。

安倍晴明は1005年、85歳で天寿を全うしたらしい。
当時としては異例の大往生ですね。
一度死んだが、閻魔大王に秘印をもらい、生き返った、という話もある。。。

2月 7
安倍晴明って?
icon1 アン | icon2 安倍晴明 | icon4 02 7th, 2008| icon3Comments Off

伝説に彩られた平安時代中期の大陰陽師です。
天文博士。
土御門家の祖。
父は系図によれば大膳大夫・安倍益材(あべのますき)。
物語や伝説上では父は安倍保名(あべのやすな)、母は狐の化身・葛の葉(くずのは)。出身は和泉(大阪府)、讃岐(香川県)、筑波(茨城県)などわかっていません。
妻の名は不明。
息子の吉平(よしひら)・吉昌(よしまさ)も父の後を継ぎ、陰陽師となったそう。

幼い時に京に上り、陰陽師・賀茂忠行の元で修行し、鬼神を見ることができたそう。
天皇や藤原道長等貴族のために占いをしたり、陰陽道諸々祭を取り仕切った。
著書に占いを集大成した『占事略決』があります。